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メールマガジン2016年秋号「MICE戦略をどう考えるか?」(2016/11/01)
MICE戦略をどう考えるか? 〜海外先進都市(国)の戦略と動向から学ぶ〜
特別研究員 寺澤 義親

観光庁が2009年に策定した「MICE推進アクションプラン」に基づき、2010年を日本の「MICE元年」(Japan MICE Year)と定めた頃から、MICEという言葉は日本でも広く浸透した。同年6月策定の「新成長戦略」でも、MICEは観光・地域活性化戦略の一つに含められた。政府や自治体、さらには民間でもMICEに関する委員会、研究会、セミナーなどが多数開催され、メディアにおいてもMICEという単語が飛び交うようになった。

MICEへの取り組みで、内外からの訪問者が増え、観光もビジネスも刺激され地域が元気になり、都市のブランド化にもつながる。大きな経済波及効果を生み、開催地にとってメリットになると多くの人が受け止めている。

政府や自治体では関連予算や取り組みが強化され、人材育成も急務として大学の関連専攻科や講座新設・増設の動きがある。国内各地で観光開発や地域創生に関連した資源の発掘、地域の魅力を生かした集客への模索が増えている。

さらに注目されるのは、展示会や会議等の多目的施設、いわゆるコンベンションセンター、MICE施設新設の計画が国内各地で議論されていることだ。

高度経済成長やバブルの時代を背景に、1980年代後半から90年代に主要都市を網羅する勢いで展示場や会議場など多くのMICE施設が建設されたことは記憶に新しい。例えば神戸コンベンションセンター(81年)、インテックス大阪(85年)、幕張メッセ(89年)、名古屋国際会議場(90年)パシフィコ横浜(91年)、マリンメッセ福岡(95年)、夢メッセみやぎ(95年)、東京ビッグサイト(96年)、東京国際フォーラム(97年)が開業している。

その後長い経済停滞を経たものの、訪日外国人数がほぼ2000万人に達し、インバウンド拡大への期待が大きく膨らみ、2020年の東京五輪・パラリンピックを控えたこの時期に、中小規模のMICE施設の建設計画への動きが各地で見られ、第2次ブームを迎えているようである。

こうした施設が実際に、産業インフラの中核として期待どおりの実績をあげられるか、今後の動向を見守りたい。計画の確実性を期するために、既にコンベンション都市として確固たる地位を築いた先進事例を紹介する。

ここでは米国3都市とシンガポール、タイを取り上げる。その理由は、米国は世界最大の展示会、コンベンション大国で国内市場が大きく、かつMICE戦略のメインプレーヤーが地方政府や業界団体になっているなど日本と共通する構図にあること。シンガポールとタイは米国と比較するとグローバル・インパクトは小さいが、発展の勢いではアジアを代表するモデルとされているためである。

1. 米国のMICE戦略
米国のMICE戦略について、地域レベルでの展示会、コンベンション分野の発展経過から一つ確認できることがある。もとよりMICEは雇用効果、都市・地域の魅力強化を含め経済効果を目的として観光とパッケージで振興されてきた。そして米国が製造業の海外進出・競争力の低下と経済停滞も重なり空洞化や産業再生、さらには失業増といった深刻な問題を抱えていた80年代に、MICEは大きく飛躍の時期を迎えたのである。

他地域に先駆けて高度技術産業への転換に成功していたシリコンバレーとボストンを除くと、多くの米国の都市・地域は80年代前半に地域再生という大きな経済・都市問題を抱えていた。その対策として当時のレーガン政権は経済再建計画を発表し歳出削減、政府規制緩和、大幅減税等の政策を打ち出した。地域レベルでは企業誘致による雇用対策や新規産業の創出、ベンチャービジネス振興、そしてサービス分野では展示会、コンベンションビジネスの振興を図っている。

米国のMICEは長い歴史を持つが、米国を代表する有力コンベンション都市の多くが誕生した背景には、産業構造が変化し経済がソフト化、サービス化にシフトする過程、又は地域の雇用や人口移動も含めた地域変動への対応として、80年代にMICE戦略が地域で選択され強化されてきた事実を押えておくことが重要ではないか。米国の先進事例としてはオーランド、ニューオーリンズ、インディアナポリスの3都市を以下の理由から紹介したい。オーランド、ニューオーリンズは観光からMICEを発展させる目的が明確で、民間主導の取り組みが基礎になっている。インディアナポリスはスポーツ施設を核にしたスポーツイベントで都市の新たなイメージ創生にも成功しており、3都市とも大きな経済効果も獲得しコンベンション都市としても評価が高い。

1) オーランド(フロリダ州):
米国南東部最大の観光・リゾート地。
ラスベガス、ニューヨーク、シカゴと並び全米トップクラスのコンベンション都市。

<戦略の概要>
●製造業の比率が少なく、温暖な気候にも恵まれているため、早くから観光・サービスを主要 産業として振興。テーマパークや娯楽施設などを含む、数多くの集客施設、ゴルフコース、ホテルを誘致開業。
●大規模施設(オレンジカウンティ・コンベンションセンター)を1983年に開設し、観光・地域開発・MICEビジネス を包括的に推進する振興機関(オーランド・オレンジカウンティ・コンベンションビジターズ・ビューロー)を84年に設置し、現在は対外的な名称をビジット・オーランド(Visit Orlando)に変更している。

<目的>
都市・地域開発と観光・MICEビジネス振興

<主な施設と組織>
オレンジカウンティ・コンベンションセンター(OCCC):
●1983年に開設された。全米2番目の規模(展示スペースは約210万平方フィートで約19万u)を誇る。2013年から5年間で改修・会議室拡充のため1億8700万米ドルの設備投資を実施中。
●施設の所有・運営はオレンジカウンティ(郡)で建設・運営・拡張資金は観光・リゾート税を財源として負担。現在施設は年間で19億米ドルの経済効果をもたらしている。

ビジット・オーランド(オーランド観光局):
●MICEを含め地域のホスピタリティ産業のマーケティングを担当する民間非営利組織である。76年に設立されたオーランド観光協会(民間)が母体となりオーランド商業会議所と協力し、観光・MICEビジネスの基盤として84年に設立された。
●運営資金は会費とオレンジ郡のリゾート税で負担。最初の事業はコンベンションセンター建設資 金の支援を州政府に働きかけることだった。現在オレンジ郡、会員企業と連携して年間の経済波及効果が600億米ドルのフロリダ州中央部のホスピタリティ産業となった。

<特色>
ディズニーワールド、ユニバーサルスタジオ、シーワールド等、アイコンとなるような複数の集客施設を誘致し、観光魅力の基盤を形成し、コンベンションビジネス需要を取り込んだ。


2) インディアナポリス(インディアナ州):
コンベンションセンターとドームを持ち、全米大学体育協会(NCAA)や米国陸上競技連盟(USA Track & Field, Inc.)の本拠地や「インディ500」レースのスピードウェイを持つ北米屈指のスポーツ都市。

<戦略の概要>
●退屈で居眠りの街と言われていたイメージから脱却し、北米一のスポーツ都市に変身した。1964年から2000年の36年間、街の再生に真剣に取り組んだ4人の市長によるリーダーシップが効果的だった。
●1979年設置のインディアナ・スポーツ公社が陸上競技や体操等各種競技団体の本部を誘致。 (NCAA本部の誘致に成功:99年)
●大型スポーツ施設を5か所(スポーツセンター:79年とインディアナ大学陸上競技スタジアム:82年含む)開設するほか多目的ドーム(当初はフージャードーム)とコンベンションセンターを83年建設して84年から利用。

<目的>
新たなイメージの魅力づくりとしてスポーツ都市創生

<主な施設と組織>
Capital Improvement Board (CIB):
●65年に州議会で州都の機能・生活向上を目的に資金調達と運営を担当するマリオン郡の機関として設立された。
●コンベンションセンターと多目的ドーム(Indiana Convention Center & Lucas Oil Dome)の運営を担当。その他市内の文化、娯楽、レクリエーションに関する施設も管理する。

Indiana Convention Center & Lucas Oil Dome:
●官民の資金で建設された。2008年から2億7500万米ドルの拡張工事で施設は拡充され12年のスーパーボールの会場となった。展示・コンベンションスペースは約28,000u。ドームは67,000人収容。NFLフットボールやNCAAバスケットボールの会場として利用されている。

Visit Indy(インディアナポリスのコンベンションビューロー、民間非営利組織):
●600社が加盟しており、展示会、コンベンション、スポーツビジネスのマーケティングを担当。展示会、コンベンション、スポーツビジネスを含んだインディアナポリスの観光産業としては、年間2740万人の来訪者があり、州の中心エリアで年間45億米ドルの経済効果と75,000人の雇用を創出している。

<特色>
スポーツ・イベント、コンベンションで街づくりがコンセプト

●89年、全米92都市との競争に勝利したユナイテッド航空の大規模整備施設の誘致成功に代表されるように、企業誘致の取り組みは都市の魅力向上にもプラスとなった。

●さらに見逃せないのがインディアナポリスに本拠地を置く全米第2位の資産規模を持つ慈善事業団体リリー基金(製薬会社イーライ・リリー社の創業家一族が設立)の存在である。基金が都市再生、大学施設、スポーツ施設に長年支援を行い、公的負担を軽減している。


3) ニューオーリンズ(ルイジアナ州):
南部の有力な観光都市だが近年は展示会開催都市のトップ10にも顔を出すコンベンション都市

<戦略の概要>
●60〜70年代には観光客は微増、コンベンション都市としても全く無名だったが、70年代後半にスーパードームと2つの有力ブランドホテルが建設され、市内のホテル客室数を倍増後に観光客が増加。

●本格的にコンベンションビジネスで全米に打って出たのは84年にニューオーリンズコンベンションセンター(現在はアーネスト N.モリアルコンベンションセンター)を開設し、さらに同年ミシシッピ川の古い倉庫街の再開発を目的とする「ニューオーリンズ国際河川博覧会」を隣接する場所で開催してからである。

●さらに観光とコンベンションビジネスのマーケティングを担当するコンベンション・ビジターズ・ビューローの スタッフを85年大幅に拡充。

<目的>
観光に依存したビジネスでは季節変動が多く、州外からの訪問者を平準化させホスピタリティ産業で経済成長を促進させるためにコンベンションビジネスを誘致拡大。

<主な施設と組織>
ニューオーリンズコンベンションセンター(New Orleans Ernest N. Morial Convention Center: MCCNO)
●85年に開業し州のホスピタリティ産業、経済成長のエンジンとなった。

●施設は州が所有・管理し全米で6番目の規模(約10万u)で施設運営は84年設立の民間非営利組織 New Orleans Public Facility Management Inc.が担当。

●施設の建設、資金調達、運営監督は州の機関であるNew Orleans Exhibition Hall Authority (NOEHA)が所管している。施設の建設・拡張工事はホテル税で負担、この機関はもともとコンベンションセンター建設のために78年に設置されている。

●コンベンションセンター開業後、州全体では1985年〜2009年の15年間に481億米ドルの経済波及効果と1200万人の州外訪問者を獲得。年間ベースで100万人以上の訪問者、市・州の税収効果が1億7000万米ドル、18,000人の雇用効果、経済波及効果では18億米ドル(14年)をもたらしている。現在、監督機関のNOEHAは民間投資とコンベンションセンターの財務力で地域の魅力増加を狙い10億米ドルの総合再開発計画を発表している。

ニューオーリンズ・メトロポリタン・コンベンション・ビジターズ・ビューロー:
●60年代に設立された民間非営利組織のGreater New Orleans Tourist and Convention Commissionが母体。当初スタッフが3人のみだったが、MCCNO 開業の85年に80人と大幅に拡充し、コンベンションビジネスの拡大に貢献。

●95年に名称をNew Orleans Metropolitan Convention and Visitors Bureau, Incに変更。予算は公的機関から6割、民間から3割、市の観光マーケティング法人(州法で設立された民間非営利組織:New Orleans Tourism Marketing Corporation)から1割となっている。加盟メンバーは観光・展示会関連の公的機関、企業で構成され、その数は当初の100未満から現在は1,250以上まで増えている。

<特色>
観光だけでは経済メリットが安定せず、コンベンションビジネスを振興させホスピタリティ産業全体を強化。経済発展と都市の魅力強化を目的に、観光とコンベンションを成長エンジンとした。


4) その他コンベンション都市の動向
オーランドとニューオーリンズは米国の展示会開催都市トップ10の常連メンバーであり、コンベンションシテイとして確固たる地位を築いている。その他の主要都市では、全米1位のラスベガスに迫るニューヨークは86年にジェイコブ・ジャビッツ・コンベンションセンターを開設。アトランタは76年にジョージア・ワールド・コングレスセンターを開設。85年、88年に拡張し、90年にはドームを増設している。

その他北米の上位都市では、トロント(カナダ)は84年にメトロ・トロント・コンベンションセンターを開設、サンディエゴは90年にサンデイエゴ・コンベンションセンターを開設、ダラスは主要施設のワールドトレードセンターを74年に開設し79年には拡張している。デンバーはコロラド・コンベンションセンターを90年に開設、サンフランシスコは81年にモスコーニセンターを開設、ヒューストンも87年にジョージR・ブラウン コンベンションセンターを開設している。さらに米国で最大規模のマコーミックプレースを擁するシカゴではラスベガスに1年遅れの60年に同施設を開設し、86年には新館を増設している。

これらの都市では展示会だけでなくコンベンションやイベントもホストしていることから、米国のMICEは観光と並び80年代に都市・地域の新しい成長エンジンとして多くの地域で登場・強化されたことが分かる。


2. シンガポールのMICE戦略

シンガポールの経済規模は千葉県と同じぐらいで、国土も東京23区を少し上回る程度の都市国家である。従って彼らの経験は日本では、国よりも県レベルの自治体にとって参考になる可能性がある。同国のMICE戦略は観光政策から始まっている。65年にマレーシア連邦から追放される形で独立した当時は人口が増加し失業が深刻な問題だった。

そこで小国の経済発展にとって、魅力ある都市づくりを通じての観光と外資導入の工業化は理にかなった選択となった。少ない資金で済む労働集約型で多くの雇用を必要とする観光産業は深刻な失業対策として最適な選択だった。シンガポールの観光産業はその後持続して成長するための産業政策、成長戦略として位置づけられてきている。

64年にはすでに観光振興局(Singapore Tourist Promotion Board)を設立し60年代は4つのホテルが建設され、観光のマスコットにもなった「マーライオン」設置などインフラ作りをした。70年代に入り、展示会やコンベンションの参加者は観光客よりも消費額が高く、MICE分野が重要とされ、74年に観光振興局にコンベンションビューローを設置しMICE発展の基礎とした。78年にはワールドトレードセンター併設の展示会場(屋内で35,000u)を開業、業界団体(SACEOS: Singapore Association of Convention and Exhibition Organizers and Suppliers)も翌79年に設立された。

MICEを担当する政府機関も、展示会支援はかつては貿易発展局(現在の国際企業庁)だったが、今では展示会を含めMICE全体を観光庁(Singapore Tourism Board:97年に観光振興局を改組)の展示会・コンベンション局(Singapore Exhibition & Convention Bureau)が担当している。なぜならMICEは包括的な意味で観光部門のビジネス分野とみなされ、雇用や所得効果が大きい重要なサービス部門に位置づけられているからだ。

同国の観光政策の重点は、単に来訪者数を増やすことから、展示会やコンベンション、カジノを含む統合型リゾート(IR)など、観光関連産業全体の発展と消費額拡大を重視することへと変遷してきている。国家開発戦略として観光・MICEでのアジアのハブを目指す政策を展開し、2010年の新成長戦略でも「特色あるグローバル都市」を目標に掲げている。

しかしながら、一部のパフォーマンスでは最近やや成長に陰りが見え始めた。会議関連が引き続きシンガポールのハブ機能やブランドを活用し、話題のコンベンションやフォーラムを開催して好調を維持している一方、展示会分野は停滞している。展示会ではASEANのうちシンガポール、タイ、マレーシアの3か国が突出しているものの、近年はタイの成長が著しく、シンガポールは展示面積ではタイに大きく引き離され、マレーシアの追い上げにも直面。長い間トップだった売上額でもタイに15年に追い越されている。

注: 同国のMICE戦略の詳細については以下参照。
寺澤義親 (2011).「シンガポールのMICE戦略」『日本観光研究学会機関誌』, Vol. 22, No.2, pp. 24-29.


3. タイのMICE戦略

現在、ASEANのMICEを牽引しているのはタイである。タイ国政府コンベンション&エキシビション・ビューロー(Thailand Convention& Exhibition Bureau: TCEB)がMICE発展の司令塔として機能している。年間の来訪者が2000万人を超えるバンコクなど、タイはもとよりアジアを代表する観光大国だが、MICE分野でも今ではASEANの先頭を走るリーダー的存在となり、グローバル市場で積極的なマーケティング活動を展開している。

基礎インフラとしては、まず主要なMICE施設としてQSNCC(91年開業)、BITEC(97年開業)、IMPACT(99年開業)の3施設が建設された。展示会は商業省輸出振興局(DEP)や工業省など政府機関主催が多く、その時点でははまだ発展途上だったが、状況は2004年を境に大きく変化した。

当時のタクシン政権は、国際競争力の強化を目的に価値創造経済の実現を目指す政策の一環として、MICE全体の推進機関としてTCEBを04年設立した。MICEを重視したのは経済効果が大きく、観光との相乗効果が期待されたからである。

業界もこれを受けて展示会協会(Thai Exhibition Association: TEA)を設立。TCEBはMICEプログラムを策定し、政府観光庁(TAT)、TEA、インセンティブ・コンベンション協会(TICA)、各省庁とも連携してMICEビジネスの戦略企画・実施を担当している。

経済効果が期待される大規模展示会・イベントの誘致やバイヤー招聘を目的とする財政支援を展開すると同時に、世界各地でのプロモーション活動を行い、タイMICEのグローバルプレゼンスの拡大に成功している。TCEBは世界のMICE業界でもメジャーになりつつある。またTCEBは、MICE分野の統計では、M、I、C、Eの分野ごとに目標を設定し、業界全体のデータを整理して公開している。

さらに人材育成でもUFI(国際見本市連盟)やIAEE(国際展示イベント協会)等MICE分野の国際機関が実施する教育プログラムを誘致し、今ではアジアにおけるMICE人材育成の拠点としての評価が高い。

展示会では市場の魅力とTCEBの政策効果もあり、特に欧州のグローバル主催企業の進出が増えて、MICE市場拡大に外資が貢献。シンガポールより遅れてMICE開発に着手したタイだが、今ではASEANのトップランナーにまで成長している。


4. 先進事例から学べること
紹介した先進事例から学ぶMICE戦略のポイントは以下の通りである。

1) 観光からMICEに取り組む
米国、シンガポール、タイの事例からは観光から出発してMICE促進に取り組んだことが確認できる。米国では観光収入額の変動を平準化させ、雇用や所得を拡大するために、又は観光産業の基盤を基に新たな経済成長の手段としてMICE振興に取り組んできている。

シンガポールでは深刻な失業対策として観光産業振興に取り組み域内での基盤を確立してから、経済効果拡大とコンベンション都市のビジョン実現を目指して包括的な意味での観光全体のビジネス部門としてMICE発展に取り組んできている。タイも観光大国から国際競争力強化の一環としてMICE分野を新たな価値創造経済の有力分野と捉え、その強化に乗り出している。

従ってマーケティング戦略ではMICEと観光をパッケージで進める方式が共通している。米国では観光局又はコンベンション・ビジターズ・ビューローが、コンベンションセンターと協力して都市や地域のセールスを含めMICEマーケティングを担当している。さらに展示会出展者や会議参加者に対してはレストランや買い物などの割引サービスを提供しているケースもある。コンベンションセンターは顧客対応の改善や施設経営の効率化に集中できる環境になっている。

シンガポールでは観光分野と展示会を別々の政府機関が担当していたが、今では観光庁(STB)が展示会を含めMICE全体と観光を束ねて推進している。タイでも観光産業は観光庁(TAT)の担当だが、博覧会を含めMICE分野全体についてはコンベンション展示会局(TCEB)が観光庁とも連携して推進するなど効率的な推進体制になっている。

2) 明確な地域・都市の将来ビジョン
米国では80年代に失業や空洞化などの問題を抱えた一部の都市は、インディアナポリス、ニューオーリンズのように都市や地域をコンベンションビジネス、又はスポーツコンベンションで再活性化するという明確なビジョンを掲げ、MICE戦略を推進してきているケースが多い。

シンガポールは「特色あるグローバル都市」を、タイは「ASEAN MICE ハブ」や世界につながるタイをイメージさせる「Thailand Connect」をキャッチフレーズにして、ビジョンをわかりやすく表現している。

3) 民間が主導する取り組み
米国によく見られる傾向として、州政府、市といった公的部門に強く依存しない風土がある。オーランドの観光局とニューオーリンズのコンベンション・ビジターズ・ビューロー双方とも民間の組織が母体となり発展してきており、現状も民間非営利組織になっている。

観光やMICE関連の企業は自分のビジネスに必要な組織と判断して加盟しており、運営費について一部は公的負担でカバーされているが、ニューオーリンズでは全体の40%を民間負担としている。インディアナポリスではコンベンションセンターやドーム建設費について一部民間が負担している。シンガポールやタイのMICE推進については政府のイニシアチブで進められ現在も政府機関が重要な役割を果たしている。一方、業界の国際交流活動や業界団体が世界に向けて主催する大規模セミナー・フォーラムに有力企業が積極的に参加し、協賛金を負担するなど業界の自主努力への姿勢が強い。